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MARTH コラム Q & A 真の在り方から生きることについて

2020年1月16日

Q: MARTHさんにお尋ねします。世界は今、大変革のところに来ているとつくづく感じます。 そんな中で、真の繁栄や成功についてMARTHさんがお話しされているのを聞き、どうしたら真に人生を素晴らしくうまく生きてゆけるのか、私は本気で突き詰めたいと願っています。サジェスチョンをお願いいたします。

真の在り方から生きることについて

MARTH:真の成功、真の繁栄、それはただただまっすぐに嘘偽りなく、真に万物の子が、万物の望む、対立の終焉、調和の人生から一体なる愛の世界を創造することに尽力することではないでしょうか。

万物の子、いや神の子と呼んでもよいですが、一体の世界の一部である創造の主体の子どもたちである人類が、森羅万象の一部である私達が、その天が望む、万物が望む、神が望む、一体が望む、創造の主体が望むものを、その手足となって、一生を通じ、楽しみながら尽くしつづけてゆくときに、それはきっとあるものでしょう。自らの得意な、また与えられた素晴らしい才能を使い、美しき一体なる愛の世界を、全身全霊をもって創るということは、なにより美しきことであるし、すべてのものとの調和は、幸せの宝であると感じます。 嘘偽りがない、本当に純粋な想いでそれをやってゆけるということこそ、そのような人にこそ、とわの真の繁栄や幸せが、 そこにあるのでしょう。 しかし、今のエゴ(分離社会)の中では、人は自分の身を守ることとか、世の中の様子を見ることに忙しく、分離を信じた戦いの中、人々や世の中の様子を見、かつ周りの動向をうかがい生きる中、その分離の世界の中で傷つき、人が怖いといった思いにさいなまれ、本来の天の子、神の子、万物の子、その主体そのものであるその生命体の美しい力や運の良さが生まれなくなるのではないでしょうか。 自我の恐れである、やられたくない、やっつけられたくない、怖い、うまくやりたい、得したい、そこから盗む、奪う、ごまかす、演技だけする、比較する、戦う、恨む、といった自己拡大の野心を持つ、それは無理のない苦しみでもあり、誰にとってもつらい悲しみです。そのような、恐れからのどう見えるのか、どんなことが流行っているか、腐敗したものに合わせ続ける生き方は、誰にとってもつらいことですし、そんな自分を愛せないということもあることでしょう。人生を一体性の“在り方”からではなく生きることは、神の民にはきっととてもつらいことであるし、本当は本来のあなたが真に輝く美しい可能性がいつでもそこにあり、しかし、もし、自己保全の“やり方”ばかりにたずさわってしまったら、そこから、自らを万物の子に戻すために、あらゆるトラブルや、メッセージを起こしてしまうのではないかと心配します…。 やり方変えて、「今、流行っているから、分離した世間に合わせよう、得しよう」というところから、仕事を変えたり、物事を変えたりしても、結局はその人の本質が、万物の子であり、神の子であるなら、そこから本気で生きていないというときには、やはり大きな強いメッセージは届きつづけるのではないでしょうか。 その人が、本来のその人の美しさに目覚め、真に心底考えを変え、在り方を変え、生き方を変えて、心底万物の子として、神の一部として、そこから純粋にとことん生きたときにのみ、天の子としての素晴らしい人生の喜びが、生まれた真の価値が待っているのではないかと、つくづく感じるのです…。

MARTH


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