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分たれて見える世界は素粒子を見る事ができる目があったら全てが繋がって見える

2020年9月17日

MART:はい、今日もMARTHのたわごとのお時間がやってまいりました。
ご質問からお読みしたいと思います。

Q1:MARTHさん。この世界は分離して見えるというようなことをおっしゃられていますが、実際に分かたれてそれぞれいるのではないのですか? というご質問です。

分たれて見える世界は、素粒子を見ることができる目があったらすべてがつながって見える
MARTHオンラインアカデミー
「LASTRA Quantum Healing Academy 」

MARTH:えーとですね。人間の目というのがですね。分子を見るようにできているんですね。 だから、分かたれて見えるんですけど、素粒子的というか原子的に見ますとですね、すべて原子でできていてですね。 要は全部つながったボワッとした状態なんです。 だから、原子しか見えないというか素粒子しか見えない目だった場合はですね、全部つながっちゃってるんです。 濃いところとか薄いところがあるんだけど、同じものでできてるんです。

それをですね。例で挙げるとテレビは同じ光とか電気でできているけど映像的には分かたれて見えますよね。 それはだから一種物質映画みたいな分子映画のようなものなんですね。 だから、実際は一体なんですけど、実際はつながってるんですけど、分かたれて見える映像が見える目だということですね。 要は分子を見る目。原子を見るため、素粒子を見るためには電子顕微鏡が必要だったりするんですね。 だから、私たちはこの世界が分かたれているんだと思いこむわけです。 実際は一体物。つながっていて、それはある意味、なんというのでしょうかね。 創造主の夢のような想念でできている。 これは量子力学の方たちがもう今解明して、100年ほど前ボーム博士も、その素粒子が想念でできている。想念の影響を多大に受けて、想念でできているということを見つけているわけです。 それはもう量子力学の人たちがみな想念の影響のことについてはつくづく理解されていると思いますが、そもそも古代の文献というか古代のムーの知恵と言うのでしょうかね。 古代の、超古代文明の価値観では、この霊感の書というのがあるんですが、すべては霊の世界で、それをエーテル、素粒子、そのように呼ぶわけですが、すべては一体で、とわに未知で、とわに神秘の中、永遠に。

要はソクラテスが言うような気づきですね。 すべてはつながっていて一体である。創造の主体の夢である。 というふうなことが、古代、超古代文明の科学でもあり、宗教性でもあったようですね。 ですから、世界中からそのムーの知恵。要は未知で神秘、とわにわからないところ。そしてつながっていて、一体で、創造の主体の夢のようなものでできている世界なんだというのは、古代から言われてきたことです。 それでは、またお会いしましょう。 お相手はたわごとMARTHでした。

はい、追伸です。
ちょっと見逃しちゃったんですけど、下の方に質問があって、同じ方なんですけど、自らを罰したり、目覚めさせようとする素粒子の動き。まぁある意味では、そうですね。 この方がおっしゃるように滅ぼすという、自らを罰するということはなぜ起きるのかということについてのご質問ですね。

まぁ、先程のお話の続きになるんですけど、素粒子たち、また森でもいいです。動物たちでもいいんですけど、分離してる人間の価値観が近づくことによって、電子が乱れるということが知られています。 で、電子がきれいに回っているのが、これをπと呼んだ人がいます。自分の友人で。 40年ほど前の東大の博士ですけど、彼は量子力学を本当に勉強されていた方で、もうお亡くなりになったようですが、まぁ、要は電子がきれいに回っている状態をイヤシロというふうに古代では言うんですね。

で、電子がきれいに回ってない状態。これエントロピーが増大してゆくきっかけともなる。 これが原子核の周りを電子が回るんですけれども、その軌道がですね。乱れる。 要は分離。分離というのは真実ではなくて一体というのは先程も言いましたが真実なために、事実なために、一体のときには問題がないのですが、一体でない価値観。要は分離の価値観ですね。 分かたれているという信念体系が近づくと森が怯える。 植物が怯える。また、愛、一体というのが愛なんですけど、一体の価値観。愛の価値観。一体であるという真実、要は物理的真実。要は 物理的というか科学的真実のもとでは電子が美しく回る。イヤシロ、癒しですね。 で、電子が乱れる。これ、ケガレチ。穢れと呼ぶ、古代の知恵なんですね。

で、そういう意味で、人間が戦いとかケンカとか、人と争うとか、分離するとか、愛で生きない。本質が愛で、誰でも本質が万物すべて。 木も花も鳥も大地もすべてが愛の、一体が事実なので。 愛を一体というふうに僕は訳しますが、そういう意味ではすべてが愛でできているんですね。 愛の現れ。だから、愛で生きないときにはメッセージが来るということです。で、自らを愛せないとか、自らを罰するとか、自らを滅ぼすとか、そういうことが非常に多く見て取れます。 で、ケンカとか戦いとか争いというのは、本来一体物が戦うわけですから、腎臓と肝臓が戦うようなものなんですね。 一体物なわけです。

で、これが私たちの目の中に素粒子が見えているならば、分離して見えないんですね。 つながってるという。 で、木とか、もういろんな名前をつけますね。 ケヤキとか、イチョウとかつけるとまるで別個のもの。腸とか、肝臓とか、分かたれているように思い込んでしまう場合がありますが、実は全部一体物です。 すべてのものがこの宇宙は一体な、つながったものなんですね。 で、そういう素粒子を見る目がないので、私たちは分子を見る目がついている上に、言葉を、言葉によって名称づけによって、分かたれたように思うようになったり、五感というものがあって、自分と他っていう感覚が芽生える。 そういったことになってゆくんですね。 まぁ、そういう意味で、一体の世界の中で、私たちは分離したという夢を見ているというふうな捉え方。

逆に言えば、この世界は創造の主体の夢。 また創造であるという捉え方が、古代から言われてきた科学的、素粒子的、量子力学的、見方です。 それでは、MARTHのたわごとでした。 それではまたお会いしましょう。
MARTH


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