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MARTH Q&A 誰もが創造の主体の分身であるゆえに、分離の終焉がいかに重要なのか。

2020年8月4日

MART:はい、今夜も、トークセッションの時間がやってまいりました。 今日も、リリと一緒にお届けします。 リリのハーハーハーハーいう声が、ちょっと暑いので扇風機を浴びていますが、リリはハーハー言っています。 リリとは何か?というご質問がありますが、金髪の美女です。 はい。わんわん。ゴールデンレトリバー。愛犬です! と、ふたりでお届けします。 えー、ご質問です。

Q:MARTHさん、分離の問題をつくづく理解してまいりました。 分離を解除する具体的な方法について、お伝え願いたいと思っています。よろしくお願いいたします。 というメッセージをいただきました。

人類がこれから科学的に検証すべき、一体性の法則について
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MARTH:これは、インナーのセッションも今日はやらなきゃいけないかもしれません。ちょっと詳しくやらなくてはならない。 要は自我の終焉。分離の終焉の具体的方法ということでらっしゃると思います。 まず、大事なことは、そのあらゆる人が正義で、愛で生きなければならないという法則ですね。宇宙はそのようにできている。

だから、この分離社会では上の人とか下の人とか、いろいろとおられますけども、みな自己責任において愛であり、救世主として、また神の現れとして、愛の現れとして行動しなくてはならない。 ということは、そうでない場合はメッセージが来る。自分を罰する。もしかしたら、滅ぼすことまでしてしまうというのが、宇宙の法則だと私は感じています。 ですから、この争いの世界の中で、悔しいとかチクショーとか、コノヤローとかいろんな思いが起きてくるのは自我ですからしょうがないのですが

そのときに気づいて、要は自我を終焉させる。要は私などいなかった。存在していなかった。 ということになりますと、私がいないのですから、頭に来た私もいない。かつ、偉くなる。すごくなる。良くなる自分もいないというふうに気づくわけです。

それが自我の終焉の簡単な終わらせ方ですね。ああ、私などいなかった。って言うと、怒っている自分がいないので、悲しんでいる自分。怒っている自分。悔しい自分。ムカついたーとかね。

そういう…誰が?っていったら必ず自分なんですね。自分がないとムカつけないんです。自分が生きてないと、この世に存在していないと、怒ることも、笑うことも、悔しがることもできない。 野心も、野望も全部消えちゃうんですね。これが自我の終焉の状態です。

で、これが無我の状態。で、この無我の状態の人々のために、この宇宙があるということを、いつもお伝えしてきたわけです。 要は神々というか、万物というか、創造の主体。一者の夢。一元。日本では源に還る。いろんな言葉で武士の方たちも言われていたように、一体の中に還る。一者に還る。一元に帰す。

これが古代から、ムーの時代から、縄文のもっと前から言われてきたことです。 ですから、この世界は一者の夢である。創造の主体の夢である。神の夢である。愛の現れであるというように、捉えた場合はですね。

ですから、自我というものは妄想です。 ですから、この世界は一者の夢であるということはひとりしかいないということですね。 ひとりとは誰かといったら、神しかいない。創造の主体しかいない。一体であるということですね。

日本は古代から、そういう風に昔の人は感じていたから、一元に帰すとか、源に帰すとか、一者に戻るという、真我に還る。という言葉が伝えられてきているわけです。 ですから、真我の夢ですから、愛とか一体は当たり前、ひとつであることは当たり前。私などいないのは当たり前。

要は、愛しかいない。神しかいない。逆に言えばその部分、部分。 孫悟空のように細かく、こういっぱいの自分がいるとすればですね。まぁ、分身というんでしょうか。神の現れ、神の子、分身ですね。 分身は、全部メシアであり、救世主である。 あらゆる人がその責任を本当は負っている。

なぜなら神の現れですからね。創造の主体。創造主の現れですから、ひとりしかいないので、あとは分身です。 そして創造を、一部分だけ担っているということですね。 ですから、自分の範囲500mとか、300mとか、自分の範囲を創造することを任されていると言ってもいいのかも知れません。

ということは、私が自我となってクソー!ちくしょー!とか、コノヤロー!とか、なんなんだー!とかやったら、その半径500mに影響を及ぼす。創造の主体ですから。 これ、シディ的に深く入って、想念を実現させるということになると、もっとすごい力で物質化現象を起こします。 これ、MARTHのたわごととしてお聞きくださいね。

だから、このシディ的なことが理解されないと、この物質映画。要は創造の主体の夢であり、創造の想念である世界。 そしてその分身は、そのようなものを任されている範囲があるわけです。

ですから、瞑想でみんなで集団で考えることによって、それが叶うと信じる方々もいるのですが、実はそれシディ的には非常に難しくて、要は白魔術、黒魔術…これあんまり、言っていいのかな。 まぁ、インナーの方で詳しくはお話しますが、要は叶わない。その自我が残っている場合、非常に…。要は創造の主体の現れ。分身だからこそ、物質化を任されているんですね。 だから自我のためにとか、自分のためにとか、エゴイスティックなことのために使おうとすると、それは返りがきます。

ですから、愛のため。人々のため。美しきことのため。戦争を終らせるため。戦いを終わらせるために使う。それが本当のシディテクニックであると思われます。

そして、もう一度言いますと、あらゆる人が、創造の主体の分身なので、神の子、神の現れ、救世主、メシア。 なんと呼んでもいいのですが、(それ)ぐらいのことを任されているのに、自我化したり、悪いこと。 要は自我、分離、戦い、競争、比較、そういったことの手先になったり、またはそういう人のせいにして、偉いやつがそういったんだ。上司がそう言ったんだ。と言って、そういったことを人のせいにしてしまったら、返りが来ることでしょう。

その人は自らを許さないでしょう。自らを罰するでしょう。 要は、あくまでも創造の主体であるものの分身ですから、愛の分身です。神の分身。誰もが。 で、これをメシアだとか、神の子とか言うのは、宗教的に問題があるなら、そのようなことは言わないでも、神の、または愛の、創造の主体の分身であると言ったらどうでしょう。 分身であるからこそ、正義を貫く、愛を貫く、そのために生きる。

万物全体のために、宇宙全体、神全体、生命全体、あらゆるもののために人生を尽くす。 そのときに、幸せや至福や、真の成功や、千年の王国も来るでしょう。

でも戦いや争いや、自我や分離の中では、必ず人は自らを滅ぼすし、間違っているよ。創造の主体として、その現れとして、その任されている分身として、自らを罰したり、自らに気づかせたり、目覚めさせようとしたりするのは、必然なんじゃないかと、MARTHは思います。 まぁ、たわごとです。まぁ、それぞれが信じていることがありますから、それでいいと思います。 ただ、世界が混乱し、トラブるのは分離の問題だというのは、感じてなりません。

だから、もし、素晴らしい成功をしたい。素晴らしい幸せになりたい。 素晴らしい世界があってはじめて、万物に、神々に合った、天に合った、創造の一者、一元。 真我に合った生き方をするというのは、何よりも大切なことじゃないかなって感じます。 またちょっと詳しいことは、インナーの方、このまま続けます。 それでは、またお会いしましょう。 MARTHのたわごとのお時間でした。 それでは、おやすみなさい。

追伸です。 例えば、僕もあまり良くわかっているわけじゃありませんが、聖書では「はじめに言葉がある」とか、「知識の果実を食べる」とか、これは、シディもすごく共通することで 要は、マントラを使って知識を落とし、言葉をスートラによって名称づけや、言葉というのは名称づけですからそれを落として、そして五感を落として、深いところに入ってゆきます。 どちらにしても、私などいないということは、無我に還るということですね。私がいないんですから。

それは、宇宙が喜びます。宇宙はそもそも一体です。一者です。一元です。源に帰す、一元に帰す、真我に帰す。 これ、古代日本から、いや、もっと古いときから、ムーと呼ばれる文明のときから、ずっと言われてきたことです。 一元に帰す、一者である。そして私たちは一者の現れ、愛の現れ、神の現れ、また神の分身、愛の分身。誰もが。 だから正義で生きるのは当然。愛で生きるのは当然。

そう生きなかったらメッセージが来るということを人類は今から調べなきゃいけません。 科学的にも本当にそうか、調べなきゃなりません。 一体の世界であるということ、古代からずっと言われてきました。 一者の夢。未知で神秘。創造主の夢のような。 だから素粒子というのは夢の物質、想念の物質である。想念に影響される。そのことを今、科学は見つけなきゃいけません。 愛でできていること。愛の現れであること。神の現れ。愛の分身。だからこそ、正義でなくてはいけません。人のせいにはできません。 自分が愛で生きる。正義で生きる。誠実に生きる。

お医者様はみな赤ひげにならなくてはなりません。経営者はみな、赤ひげの経営者にならなきゃなりません。 公務員の方もみな、愛を持って、勇気をもって、純粋に生きなきゃなりません。 政治家の方もみんな愛をもって、宗教の方もみな他の宗教を愛するような、他の人々、他の民族を愛するような。 みんな一体ですから、そういう人とならなくてはなりません。そういう責任があります。

その責任を果たさなければ、自らを目覚めさせようとしたり、自らを罰したり、滅ぼしたりもしてでも、愛へ向かわせよう、本体へ、本質へ、リアリティに還そうとする。 そのように私は感じます。

それでは、今のはすべて、MARTHのたわごとでした。 おやすみなさい。

MARTH


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