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Marthさんは、自我が苦しい時、怖い時、悔しい時には、無我になればいいと おっしゃいます。

2023年7月14日

Q:Marthさんは、自我が苦しいとき、つらいとき、 こわいとき、 くやしいときには、無我になればいいと おっしゃいます。 無我とは、“私”がいないということであり、仏となる という意味でもあり、その同意語でもあるとおっしゃいます。 その真相、心底学びたいです。


MARTHオンラインアカデミー
「LASTRA Quantum Healing Academy 」

MARTH :わかりました
くまなく東洋の神秘のお話しをしましょう…。 まず3才ごろまで自我は形成されてないのがほとんどです。 それまではだれとも仲良くなれる人が 多いのではないでしょうか。 自我がともなわないということは、 また、死がないということでもあり、万物すべてと一体であり、 自と他という分かたれ感も、 まだ薄かったということであるのです…。 一体のものに、たとえば身とかの部分に名をつけ 心臓とか肺とか、腸とか分かたれたもののように呼ぶことで 一体のものである真の感覚が阻害されてしまうように 万物の部分をそれぞれ名付けることは、 真実である一元性の喪失にもつながり、 愛や不死の真実の感覚をいちじるしく縮小してしまいます。 ゆえに、メディカルの元の意味であるメディテーションは、 思考でいるときには起きません。 そのとき、やすらぎや癒しも縮小されることでしょう。 自我顕在意識をマントラで終え、無我性、変性意識を経て、 ポジティブなスートラの効き目のある中へ 参入しなければならないのです。 あとは、たわごとの中で…。


Question2
超古代は、半霊半物質であったと、 精神世界ではとかれます。 ムーやアトランティスの頃のことでしょうか。 そのことが知りたいのです…。


MARTH:
その答えは、物質化のシッディーに由来し、 この世界の真実である  プラズマの宇宙にも由来するのです。 非現実、非分離、神の夢、 一者の夢、一元世界等々の真実に気づき、 学ばなければならないことでしょう。 どちらにしても、 自我の生み出す分かたれの現実と、 真我の生み出す大自然の美しさは、 この世界の真実の中でしか生まれないのです…。 自我の信念は、妄想からくる物質化をつくってしまうのです… ですから、半霊半物質とは、半分が霊で、 半分が物質というわけではなく、言ってみれば、 それはこの世界が霊的世界であるゆえにこそ、 無我的中立性の神聖な現実と、 自我人生の恐れや野心という 悲しみの気づきをともなうメッセージ的人生を生み出せる ということなのです… それゆえに、人類に何より大切なのは、 私などいなかったという無我性なのです…
MARTH


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