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質問:今の世の中について、イザヤさんや神々はそれをどのように思っておられると思われますか?

2021年6月19日

はい。MARTHのたわごと。白昼夢のお時間がやってまいりました。外は霧です。今、リリはお外にお散歩に行って帰ってきました。いい子です。 今日は非常に難しいご質問ですね。

Q:MARTHさんにおたずねします。世の中はとんでもないことになっています。イザヤさんや神々はそれをどのように思っておられると思われますか?

MARTHさんにおたずねします。世の中はとんでもないことになっています。イザヤさんや神々はそれをどのように思っておられると思われますか?
MARTHオンラインアカデミー
「LASTRA Quantum Healing Academy 」

MARTH:
どのように思ってるのかなぁ。神は天は、または電気体となられた方々は、イザヤさんはどう思われてるのだろう、というご質問ですね。 そうですね、それに関して、白昼夢を見た話をしようと思います。その白昼夢の中でイザヤさんが、民がみんな殺されてしまう『七人の侍』という映画の話のことを言うのです。その夢の中で、映画の中で殺されていく民を助けたいということについて(僕が)質問しているのです。そうしたらイザヤさんが「(助けるのは)その命だけで良いですか?」と(僕に)聞いたんですよね。 どういうことかなと思いました。そうしたら「美しい魂の方はどうですか?」と言うんですよね。あと、「たくさんの方々の目覚め、一つなる気づきは要りませんか?」と。「え、それは要るなぁ」と思いまして、そうしたら(さらに)「人のせいだったり強い者たちのせいにしていた民に気づきは要らないのでしょうか?」と言うんですよね。それは、その時は意味がわからなかったので、イザヤさんは『七人の侍』のことを言うのですね。若い方はご存じないかもしれませんが、昔、そういう映画があったんです。僕は子どもの時に3回ほど父親に観せられたんです。その物語のことをイザヤさんが「お父さんと観てたでしょう」と。「あ、はい。観ました」と。でも、小さい時だから、何か山賊というのか盗賊というのか、そういう人たちがたくさんいて、村人を搾取するのですね。「女、持ってこい。
酒、持ってこい。食い物、持ってこい」という、そういうストーリーだったか、ちゃんと覚えていないんですが、
そんな感じ(のストーリー)。それでその脅しに屈して、民はそれを渡し続けてきて、ある時もう殺される、もう駄目だとなった時に、その民というか町の人、平民というのか、その人たちの長が、7人の侍を、強い人を探しに行くんですよ。小さい時なので、少し間違っているかもしれないけれど、多分、そうだと(思います)。違っていても許してくださいね。自分の記憶の中のストーリーですからね。 民がもう限界まで来て、その7人の勇敢な人に頼むのですよ。(しかし)やはりどの世界にもいます。騙し屋というか、やっぱり仲間を騙して山賊と繋がっている人たちが出てくるんですね。それで「民が7人の侍を雇ったぞ」と、盗賊の人たちが知るわけですよ。仲間を騙して言いつけにいく変な心の人たちが(いて)、いつの時代にもどこにでも、そういうことはありますね。仲間を騙すとか、近所の人を騙すとか、そういうおばあちゃんとかいますよね。意地悪ばあさんじゃないけれど、それなりの面白いキャラクターで。そういうのがあったと思うんですよ。 それでまた襲いに来るんですね。その7人の侍の人が盗賊の方々と必死に戦うんですよ。その方たちが、大名というんですか、その時代のいろんな人たちと癒着もして罰せられないというか、盗賊の方々なので逃げたりもするんでしょうけれど。そういうことで襲いにくる、7人の勇者がどんどん死んでいくんですよ。殺されていく。

その時、イザヤさん曰く・・・それは夢の中でですよ。その時隠れていた農民たちが、7人の侍を愛してしまうのですね。自分のために命を賭けて救おうとしてくれるその7人の武士の人に(愛を感じるんですね)。どんどん殺されていくんですね。(侍を)愛してしまった若者たちは我慢できなくなって、一緒に戦うんですね。 そういう気づきとか目覚め、その勇気とかその民が自分の弱さとか、見ないようにしてきたこと(に気づき)、最終的にイザヤさんが言うのは、最終的には7人のうちほとんどが死んじゃうんですけど、一人か二人しか残らなかったのかな、ちょっとそこはよく覚えてないですけど。その7人の侍を愛した村の民たちが、勇気を取り戻したり気づきを取り戻すんですね。それで村は強くなるんです。村人は目覚めるんですね。そのことをイザヤさんがおっしゃってたんですね。「そういうの(そういう気づき)は要らないですか?」と。「(民の)命だけ助けるために、その悪い人たちを神々が抹消すればいいですか?」と言うんですよ。

その手下になった人、またその腐敗した世界、またその忖度と言うのか、あまり言葉がわからないけれど。今の世の中で言うとどうなんだろう。そういうたくさんの人が目覚める。もう傷ついて殺されて、体中がボロボロになっていく民を見て、自分は何ということをしたんだ?とか、何て弱虫なんだとか、なんて不正なんだとか。自分の父親の役所の人も、なんて弱いんだ、不正なんだ、なんで正義を貫けないんだ、とか。「そういう気づきは要りませんか?」と言われたんですね。 ううむ、その気づきはちょっと要るんじゃないかな、民は苦しんで、人々は過ちを犯し、人々は一体の世界を知らずに、小さい時からケンカや戦いを習い、人のせいに、強い者たちのせいに(して)。民はそれに気づかなくていいのか、小さい時から、怖い、強いものに巻かれる、弱さとか孤独とか寂しさとか痛みとか、そういう分離社会の悲しみに、つくづく気づかなくていいですか? 今すぐに終わらせていいですか?と、こうイザヤさんが言うんですよ。夢の中ですけどね。 「神様はそうされているんではないでしょうか」と言うんですよね。確かに7人の侍では、(民が)勇気を取り戻してその村が真に繁栄したり美しくなっていくような描かれ方をしてましたよね。そうか、人々の気づき。夢の中ですよ、白昼夢です。

そこでイザヤさんが「命だけで良いのですか?」と言うんですよ。「美しい魂は、その人の人生、美しい一体性の愛のある人生、価値観は取り戻さなくて良いですか?」と言うんですよ。それがなかったらその人は、結局、死を選ぶかもしれません。自らを罰するかもしれません。アポトーシス、霊斬をしてしまうかもしれません。 「彼らが愛や勇気を取り戻さなくて、誠実さを取り戻さなくて騙し屋のままでいいですか?」と。「それで苦しんでいいですか? 彼らは真に神の子、愛の表れなのに、そう知らないで、殺す人や盗賊の人や、かたや悪い官僚になられたり政治家になられた方々が、気づかないで苦しみの中で罪悪感の中で、人の故郷を奪って(死んでいっていいですか?と)。イザヤさん曰く、「人の故郷を奪って国をつくった、そこからダビデやソロモンも苦しみが始まった。そして北イスラエルも南イスラエルも滅びてしまった。だから私は東へ向かった」とおっしゃるんですね。「愛の国をつくるために私は東へ向かった。しかし民はいつも争いや戦いの苦しみ、恐れで愛や勇気を持てない、それが私の苦しみでした」と、白昼夢の中ではおっしゃられている。建国の父ですね。和する国をつくるために、この地へ来たと。 確かに僕は、聖書とか、そういうものは知りませんが、誰かがユダヤの帝国、イザヤさんの先輩たちが・・・ それまではモーゼさんはインディアン、その民というのは縄文の民でしょうから・・・、白昼夢の話なんですが。

縄文の民が紅海へ移住して、 スーパーボルケーノ、鹿児島の硫黄島、そんなこともあるかもしれませんね。それで大洪水、大津波、そういうこともあって縄文の民というのは縄文という名前ではない、ムーですよね。ムーの民が アッシリアや紅海に向かい、フェニキアとかヘブライとかシュメール(へ向かう)ということになったようですが。 そして愛の民が、神の民が、一体の神が、テントで暮らす民が、話によると、ムーは石を切り出した形の中に真っ白な綺麗なテントを張るようなそういう美しい神殿というのか、その名残でテントで暮らしているようです。インディアンの方々やボヘミアンというのか、砂漠の民というのか草原の民というのか、要するにテントで暮らす方々がいますよね。そういう方々の石版というか、そういう方々の愛の書、トラーですね、ラストラーのトラー。石盤。 紙に書いたのはトラーですね。そういう古代ユダヤのイザヤさんの話ですから、ある意味、元は縄文の民ですよね。ムーの民、一体の民、量子力学の民、愛の民、攻めて来られてもテントを畳んで逃げるような、人を傷つけない、傷つけられても傷つけない民ですね。そういう文化がイザヤさんの価値観ですよね。 そういう一体の愛があるからこそ、神の民だからこその幸せや至福。そういうことを「取り戻さなくて良いですか?」と。天は神は創造主体は、「そのことをしているのではないですか?」と。

そんな創造の主体の子どもたちが愛を取り戻して、一体を取り戻して生きるために、それをもし取り戻さないまま、トラブルだけを取ってしまったなら、彼らは自らを罰する、彼らは罰に次ぐ罰を当てる、アッチラ大王、アレキサンダー大王、信長。アレキサンダー大王は仲間に、信長も仲間に、「やりすぎだ」と殺されます。民をもうこれ以上(攻めるなと)、インドの川を渡るなと、これ以上、人の故郷へ侵入するなと、(さもなくば)滅びると。実際にヘブライの民も人の故郷に侵入し、奪って取って殺して、そして北イスラエルも南ユダも滅びてしまったという歴史を現実に(見て)強く感じたイザヤさんの言葉です。そんな白昼夢ですね。たわごとです。そして民が皆、愛に目覚めて、自らを罰さなくして、自らを殺したり自殺したりひどい目に合わせたりトラブルを引いたり、自ら苦しんだり辛くなったり、そういうことのないように、一体や愛を学ばないで、気づかないでいいですか? 辛い思いをして、人が仲間が民が殺されていくのを見て、なぜこんなものに自分は参画したんだ、なぜ自分はこんな馬鹿げたことをしてしまったんだ、なぜ人を殺してしまったんだ、騙してしまったんだ、という反省がなくていいですか?

自分の父親は法務総合研究所、そのあとは東京地検ですが、いつも言いますが、囚人の方の回帰の研究者でした。みんな、そんなことはしたくない、そんな自分は嫌だ、だって神の子なのに愛の現れなのに、分離してケンカしたり奪ったり取ったり支配したり、憎んだり殺し合ったり、逃げたり誤魔化したり、嫌ですよね。それに気づいていないなら、自らにどんどんどんどんメッセージをし、自らをどんどんどんどん罰しますよね。そのようなことがないように、「学ぶためではないですか?」と言うんですよね、夢の中ですよ。 所詮、たわごとです。こんなこと信じる必要ないです。でも僕は本気に思いました。あまりにもリアリティーのある白昼夢だったからです。ぎゃーって、暴れるような白昼夢。そんなことで、自らを罰する誠実な愛の現れ、自らを罰する神の現れ、その子。自らを分離した不正や分離の戦いや争いや、そういう一体の愛の子ども、一体のすべてがひとつの愛の花や鳥や動物たちがみんなひとつで一体で愛で・・・。

そんな動物たちや鳥や花や、あらゆるものが一体で、あらゆるものが素晴らしくて、あらゆるものが美しい。 そのみなさん、世界中の方が、人を殺したり奪ったり騙したり、脅したり脅迫したり、嘘をついてインチキをしたり、 人を陥れたり支配したりされたり、嘘をついたり、誤魔化したり、逃げたり隠れたり、民もしていいのですか? そういう自分を許しますか? そういう自分を責めませんか? 償おうとしませんか? そういう自分を罰さないですか? ーーーそのためにやっています、と言うんですよ。 そうか、と。自分はもうわからない。

そのたわごと、白昼夢の中でイザヤさんは「命だけでいいですか? 美しき生き方や美しい人生を取り戻すために、全人類がここを乗り越えてください。反省に、深き後悔に、深き悔やみに変えてください」と。そして「 深き悔い改めに」。これは宗教でもなんでもないです。悔い改めることは人類に必要なんですね。愛で生きる、幸せになる真の成功、真の繁栄、自分を愛する、家族を愛し、民を愛し、仲間を愛し、自然界を愛するみんなと一緒に生きるということを取り戻すために必要なんですね。そんなことをつくづく(感じました)。

では、そういうことで。みなさんが愛を取り戻し、輝きを取り戻し、真の繁栄、真の成功、美しい人生を取り戻すために深く気づいて、深く悔いて、深く改めて、深く泣いて、深く深く後悔して、永遠の命を取り戻して、幸せに 美しい人生を(送られますように)。恨みや憎しみを超えて、幸せな人生に還って、みなさんに幸あらんことを。 お相手は、たわごと白昼夢MARTHでした。それじゃさようなら。
MARTH


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