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MARTH コラム Q & A そもそも守る私などいないのなら、いない私を防衛する戦いはいらなくなってしまう

2020年5月21日

はい、今日も、オープンなトークセッションです。
まず、メッセージをお読みします。
43歳、会社役員の方からです。
Q:MARTHさん。MARTHさんのお話を最近よく聞かせていただいておりますが、お話を聞いている中で、素粒子と呼ばれているこの一体の世界から見て、脅威とか、問題とか、良くないと感じる。それが自我である。というふうにお話しされているのを耳にして、なるほど。確かに、そうかもな〜と思うような日々、この頃です。 そのことについて詳しく、お聞きしたいのですが…。 という、お便り、メッセージをいただきました。

人類がこれから科学的に検証すべき、一体性の法則について
MARTHオンラインアカデミー
「LASTRA Quantum Healing Academy 」

MARTH:そうですね。確かにおっしゃるとおり、その素粒子と僕が呼んでるのは、宇宙、一体なる宇宙の構成要素ですね。 これは素粒子、原子、電子、様々なことで言われてますが、もっともっと細かいものに至るまで永遠に細かいものがあるでしょうが、その一体なる宇宙を構成しているものは、古代の様々な文献から見ると、やはりそれは創造の主体の夢であるというのが、非常に科学的だなと、私は想っています。

で、創造の夢の中で、創造の主体。創造主とこう、宗教的には呼びますが、その創造の主体の夢である一体の世界の中で、その子である小さな創造を許されている私たち人類が、様々な現象を起こすと。 で、これは科学的にシディによって解明される。まぁ、これからますます、人類が解明してゆけるものであるので、この創造の夢である、ということは、より、要は物質映画であるということは、科学的に解明されてゆくと思うんですね。

で、まずはその基本に立ち返ってですね。この一体の世界。つながった、一体なる世界の中で、一者である。そして一者の子。これは子どもと思うと、人間の場合子どもは実体を持ちますが、まぁ自我を持つというか、分離しますが、身体の細胞だと思うと、これは独立したり、分離したらおかしいですね。 あくまでも身体の一部ですから。 だから、私というものがあると思うなら、その一部である。で、それが独立して、オレは小指だ。オレは人差し指の細胞だーってなりますと、ちょっとやっかいなことになりますね。

そのときに、身体は緊張する。そういう独立運動が起こる。一体なのに独立運動が起こるということに関して身体が緊張する。 そういう、自我を持つということは実はそういうことです。 ですから、万物にとって、自我が生まれるというのは、非常に緊張する。警戒する。まぁ、簡単に、なんというか、まぁ捨て置けないことであると…。 で、それがバチとか、メッセージというような、一体からずれたものに対する警戒。また、そういうことがありますね。 ですから、一体に戻るように。無我へ戻るように。愛へ戻るようにというふうになります。 例えば小さいときに苦しいこと、つらいこと、両親のことでもいろいろある方もいっぱいおられますね。 僕も何十万人という方のトレーニングをお手伝いしてきましたけれども、もうそれはもう様々大変な苦労をされます。

そして、その私がいるということになりますと、すごくやっぱり他と戦う。分離する。警戒する。また、身の保全ということが強まる。そこから戦う。というのは、当然強まります。 これ、国も同じですよね。敵対心が強い国であれば国境に警備をいっぱいおきますよね。 また、相手が巨大な力で対応できなかったら、当然、何ていうのでしょうかね、そういうの…見つからないように、騙すというか、要は正規軍ではないっていうんでしょうかね。 あの、レジスタンスっていうんですかね。そういうふうになっていきます。 お父さんが厳しい、また強い。また恐ろしい。または環境が人の国で育ったとか、他国だとか、差別されるとか、怖いとか、そういう方たちのお話しを聞くと、やはり見つからないようにみなで助け合って、相手をやっつけるぞ、支配するぞ、殺すぞというふうになるという方たちも沢山おられます。 ですから、やられないぞ!やっつけるぞ!自分は悪くないぞ!そういう強いやつが悪いんだ! で、その人たちが世界を制覇すると、今度された人たちがまた今度レジスタンスになるっていうかね。そういうのを繰り返してゆくという世界ですね。

で、ここで気づいていただきたいのは、もしですよ。 私がいなかったら。要は私、国がなかったら、防衛はいらないんです。これが無我無心ですね。で、これが自我の終焉。私などいない。真我に還るというアプローチを賢者たちが言ってきたことですね。

賢者たちは、これをすすめてきたわけです。要は国がない。自我がない。私がいない。守るべきものがいない。 守るべきものがいないから、騙す必要も、やっつける必要も、戦う必要も、強くなる必要も、地位や名誉や資格もいらない。

だっていないから。いないとどうなるのか。ああ、宇宙にとける。 私などいないから、安らぐ。国もないから守るべきものがない。 私などいない。生きてない。ああ、存在していない。宇宙そのものだ。愛だ。一体だ。

だから、一体だと思ってなくて生きてる仲間や友だちが苦しんでたり、怖がってたり、つらかったり、戦ってたり…まぁ交感神経で、すごいストレスで、苦しいっていう仲間を見たら、思いやれますよね。愛を持てるというか。

つらいだろうな、苦しいだろうなって思いやれる。 自分は楽なんですね。私がいない。守ってない、 で、国境もない。そういうもので支配も戦いもいらない。 何もしてないから、楽なんですね。戦ってない。 そして守るべきものがない。生きてなかった。 万物の創造の主体の一部だった。創造の主体に任そう。

これ、どうでしょうね。 このことを、MARTHはただ伝えているだけで、そのほうが楽なのではないか。 でこれ、MARTHがどうのではなくて、古代から、賢者の。 真に目覚めた人たちはそれしか言ってないんですよね。 みんなが、一体である。要は無我である、自我が終焉することが大事で、要は、私などいないことが、存在しないことが一番いいのだと。 じゃ、私が存在しないのは、これはなんなんだ。万物の身体の一部です。神の一部です。万物の創造の主体の一部なんです。 だからその主体の一部として五感を持ち、言葉も持ち、確かに、分子レベルでしか見えない目を持っているので、分離しやすい性質はあるんだけど、そこを注意して いつも、空に戻る。無に戻る。真我に戻る。全体に戻る。一体に戻るということをしているだけで、安らぎ、聡明な気持ちになれる。 至福になる。

そこから動くから、真に成功したり、真に安らいだり。 で、防衛はしてないんですね。で、そんな防衛しなかったら大変だろ!国があるんだから。

これはないんですよ。無我とかですね、真我とかですね。自我の終焉とかですね、ノーマインドというのは、国がないという意味なんですよ。私がいないという意味、守るべきものがないという気づきなんですね。

要は、これは私ではなくて細胞、この神というか万物というか、創造の主体、天の一部にすぎないんだと。私存在してないんで、ただ、天の公務員で、ただやってるだけです、みたいな。

なんか防衛の戦いがないんです。それの方が、突起してないので、自我が突起して、自己拡大や自己主張、自己高揚とか、やったー偉いんだ、オレはすげぇんだ!オレはなんだ!というのはないので、楽なんですね。だからリングに上ってないボクサーみたいな感じで、まぁボクサーでもないんですけど、リングに上ってないので、勝つも負けるもないんです。 これが、楽な、無我な、ノーマインドな、存在していないという立ち位置なんです。第三の立ち位置。

で、そのときには戦いがやみ、闘争がやみ、安らぎ、互いに思いやる気持ちが大きくなり、察することができ、愛しさを持つことができ、競争心もなく。 で、的確に、公務員っていうのかな、万物の公務員としてのやることがやれて、で、天の恩恵も受けて。

で、天は万物の一部に対していろんなものを供給するんですね。 幸せとか、至福とか、愛とか安らぎとか、いいもの。 豊かさとか真の成功とか。 じゃないと、戦いとか闘争とか、分離の中だと、科学的宇宙の事実に合わないために非常に苦しいし、メッセージも自ら出すし、気づかせようとするから、それは損であるというふうに、私は思います。

だからといって、その僕の言うことをそうしろと言っているのでもないし、ただのたわ言ですから、聞き流していただいて結構なんです。

それでは、またお会いしましょう。 MARTHでした。

MARTH


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