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負けず嫌いからの自由こそ大切で、 自我の解放であるのですから、 いつでも神は分かたれを嫌うのです。

2022年6月8日

Q:MARTHさんにお聞きしたいのですが、 私の親はものすごく強い人で、それが嫌で反発してきたのですが、 自分はそのような強く見えるタイプではない人間になりましたが、なにか苦しいのです。 強い親にならなかったのに… なぜでしょう?

分かたれの終焉というのは、宇宙全体からバラバラな孤立した自己の観念を終えるという意味です…
MARTHオンラインアカデミー
「LASTRA Quantum Healing Academy 」

A:負けず嫌いが似ているのではないでしょうか…。 強いか弱いかのタイプではなく、 負けず嫌いが似てしまえば、 その分離が問題となります。 宇宙は、天は、神は一体であり、 分かたれを嫌うのですから…。

よく、自分に気づく、見るという世界の中で、 親に反発し、あぁはなりたくない という方々が多いです。

しかしながら、やり方やタイプが反対であっても、 やはり苦しみは似ているし、 同じようだとみな気づきます。 その時、あぁなりたくない、 あぁならないようにしなければならないというものが あるとすれば、分かたれ、分離感、 ようは負けず嫌いの強さなのです。 おとなしかろうが、逆に横暴であろうが、 どんなタイプであるかなど、 どちらでもよいのです。 負けず嫌いからの自由こそ大切で、 自我の解放であるのですから、 いつでも神は分かたれを嫌うのです。

ですから、分離感、分かたれ感の量、 および勝ち負けの量が減れば、 どんなタイプの方も美しく、 幸せになられると感じてなりません…。
MARTH


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